風のなか
消されたものが一瞬風の中去っていく 量子になって飛んでいるか と思った
それで 消されないものが生きているのを思い出して、そういう思いをした自分はやばかった
こわかった、世界はどういう風に変わっていくかな
フラフラ
ノーサンセオリー
それをやらないとはいえ、そういうことはできるのかな?
特に、何も特権も持っていない普通なる研究者はそういうことできるのかな?
ノーサンセオリーをやって、しばらく、一定な地位を得てからまたノーサンセオリーから距離をとって、サウザンセオリーをやるって言い出して、ちょっと偽善ではないの?
そもそもその選択自体が特権に満ちれたように見えますけれども。
本当の最初からノーサンセオリーやってない人はただただ無視されているんじゃないの?
そして、ペリフェリで一所懸命でノーサンのスタンダードを追ってやっても無視されるっすね。