Jack Jamaica

My name is Jack, living in Jamaica.

三色ボールペンの独白

私は調子者ですした、店頭に並ばれ、販売されていたごろから。調子者っていうか、誇り持ってた、一つのボールペンとしての。自分の価値みたいなもんでした。

それは金銭的なものではない。私は別に、個室みたいな、ベルベットの敷物がついてる箱に入りたくはない。そういう個別の箱で包まれているボールペンって、高級かもしれないんが、私の言ってるボールペンとしての価値と関係ない。プレゼントとして買われたり、社会的地位を示すために持ち歩かられたり、最悪の場合だと一生箱の中で置かれたり。そういうのを多分なかなかされないボールペンでよかったと。

もちろん、私は他の奴らをもっとバカにしてた。特に、いわゆるカスタマイズ化を売れポイントとして、バラバラになってたパーツたち。なんて可哀想な奴らだろうと。空っぽなプラスチックのチューブ、と狭いビニールパッケージに入ってる無気力な替え芯。たまに、握るところのゴムまで、フニャッと展示箱に詰まれて、弱っ。生まれる前にすでに分解されてる、哀れなものでした。買う側を常に媚びてるような存在として考えられなかった。

私は奴らと違って、完成品でした。できていた。ピンクな体に、小さな三色のマークがついて、ちょうどいい自己主張している。さらに、センスの欠けてた人の意思に譲れない、ワントーンを身につける。全身全霊で、私はこういうボールペンで、これからも誰かの勝手によって変わることない、私の吐くインクは青、赤、と黒、私は芯の持ってる、もう決めてる、もうできている、私とういうものだ。

そんな私が、買われてから、すぐ自分の価値を発揮してた。文字でも、絵でも、私はブレないままでインクを移り出していた。ペンケースの中に入ってる他の筆記具より、私の方がはるかに気に入ってくれた。

そのうちに、私はだんだんインク出なくなっていた。もう命が絶えちゃうかと、数日かん感嘆していました。私の細い長い芯、もう尽くされたんだ。私はもうすぐボールペン失格だ。でも、ボールペンとしての尊い一生過ごせたし、悔いはないなあと、ゴミ箱に捨てられる覚悟をしました。

しかし、捨てられはいなかった。むしろ、もっと全然恐ろしいことでした。私は解体された。生まれながらの美しき、シックな芯だけが捨てられた。私のアイデンティティにはなくてはいけない芯がなくなった。そのあと、私の芯と全く同じようなものが現れて、ビニールパッケージの中から。ピシャッと、ぐるっと、あっという間に私は元に戻した。

へえ、そうなんだ、なんでこんなに違和感ないんだろう。私の芯って、そんなに簡単に入れ替えるものでしたんだ。

それから、同じこと何回も繰り返してきた。私はもう自分のこと何を思えばいいのかわからん。この世の中でよく言われてるけど、物事の芯は年によって、強くなる。私の場合だと、芯の方がどんどん消耗されていく。

あ、多分、私は勘違いしてた。できたものとして世の中をデビューしたけど、結局私も特別なものでもない、大量生産で、人の意思で命を延ばされたり、縮まれたり。ボールペンって、そもそも、最初から、媚びるものでした。私は、作られてたこと自体で、自己主張なんかできないものになっていた。私は、別に、人々が言ってる、芯というもの持っていない。ただ、自分の仕組みに騙されていたんだよ。

 

 

 

 

 

狗脸靠垫

狗脸靠垫是在路边摊买的 

真的在地上的那种路边摊 但我也不记得

到底是不是直接放在路上还是在一个高于路面的台面

应该是南边的那条街 靠近菜市场 但是不是那么大的路上

路变了好多次 不知道是什么时期的什么样的路了

周围是不是有很多船厂的平房也不记得了

但是应该就是从家出发到东南边的菜场之间 

我看到狗脸靠垫 我想要外婆买

外婆竟然真的买了 五块钱一个还是十块钱 买了两个

两只不一样的狗脸

大了一些之后知道了黑心棉这种东西

我每次看到狗脸靠垫都会想里面装的是不是黑心棉

那么便宜

但是外婆一直在用它 用了那么多年

让我每次看到都有点寂寞

自己的喜好已经跟小时候的自己差好多了 

如果是我肯定不会在用着了

但是外婆还在用着狗脸靠垫

我一直觉得是我想要所以她才买的 但大概

(或者外婆只是纯粹的节俭;

如果说外婆也因为共同的回忆用着狗脸靠垫我会更加更加难过的)

外婆大概也喜欢狗脸靠垫吧 买的那个时候 外婆属狗

又不贵 一买就买了俩

我那个时候觉得家里的东西大概都很没有趣

就算是有一点渋い的狗脸靠垫看起来也挺pop的

大概是最有趣的东西了

好像是小孩子的东西了

现在的我走在路上肯定不会要买狗脸靠垫了

但也许将来的我会

但可能又不会

毕竟那也是外婆人生中第一对唯一一对狗脸靠垫

我们两个一起体验的第一次

 

 

Primitiveness, Cultural Backwardness, Savage, Manner

Ruy said that they have similar discourse in Mexico.

No matter what, culture will trump over everything.

But the crucial thing about culture, which makes it the ultimate weapon against the other, is that it is actually not that civilized.

To make the developed the backward, use culture.

To make the sublime the avaricious, use culture.

To make someone's grandma feel ashamed, use culture. 

To make someone feel ashamed of her grandma too.

 

 

Grab your stuff, let's go. 

Use it to take all kinds of note

小っちゃい手帳のジャケットに書いてあった言葉

やはり英語はかっこいいのかな?全然かっこよくないから

日本人はそれを日本語に訳して 手帳のカバーに書くかな?

でもどうでもいいよね どっちもどっちより高尚でもないから

自分はつまらないっすね

 

クリスマスとは言え 

たまに他人の窓を見たらクリスマスツリーが見えるほどの盛り上がり

何も盛ってない上がってないよね

散歩ちょいした アパートコンプレックスの中 敷地っていうの?

うん 昨日はさむくなかった

 

家中ではリスの音が聞こえなくなってきた、成功に脱出したのが上で

おなか減りすぎて気を失ったのは中の下で 死んでるのは下の下

リスって可愛いけど 天敵もたくさんいるよね

特に鷹かな? たまにバドミントンしているとき

何羽の鷹が上の空で飛んで 何回も繰り返して

それを見るのはいつも怖い 

もしかしたらバドミントンのbirdieがprayだと勘違いしてるのかなー と

でも鷹ってこういうばかのわけでもないな と

 

でも前ニューヨークでちょい文芸くさいドキュメンタリーを見たとき

ある日監督とそのかわいい白い犬と一緒に山へ散歩

急に鷹が凄い速さで凄い高い所から突っ込んできて

犬の頭上の寸前で止まって戻った

監督はもしかしたら 犬をうさぎとかに間違えたって

その犬は それから from above の危険を覚えたって

もちろん 911の話の一部でした

 

でも鷹みたいな強い生き物にprayだと勘違いられるのはやはり怖い

恐怖でいつも気になっちゃう 鷹を見ちゃう

そのとき いやいや 別に鷹ってそんなに怖がるものでもないと

Global Pigeonで読んだNYUの人気鷹の話を思い出す

でも同時に その本では 鷹はよく鳩をハントすることも結構書いてる

結局のところ 鷹は怖いよね

 

また読むか

あああああ

 

夢を見た 

コホートのインディアの子とパキスタンの子と一緒に学校のブックストアで

ブレスレットを強盗する夢でした

初めて夢の中の走りが豪快で全然苦痛ではなかった

それは現実の世界での走りがどんどんだめになってるのかな

でもさ すげー早かったのに 直ぐに身分もばれて 名前が知らせで流れていた

一瞬で 絶対送還だよね と思った 

でもなんてだろう なんでそれはそんなにも重要だったんだろう

 

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--水谷吉法 Tokyo Parrots